シャン州の歌と踊り

遥々半日以上かけてヤンゴンから到着した医療チームを出迎えたのは、地元シャン州の議員や行政のトップ、地元の病院の医師たち総勢約100名ほどであった。会場は私たちの宿舎となったラシオモーテルの宴会場。予定よりも2時間も遅れて午後9時30分に到着したときには、待っていた地元の人たちはすっかりできあがっており、赤い顔をして出迎えてくれた。

実はヤンゴンから長時間移動してきた私たち一行は疲労困憊していたので、ホテルに到着したら晩ご飯だけ簡単に済ませて早く眠りに就くはずであった。次の日は早朝からの診療が始まることもあり、バスに乗っていた誰もが皆そう思っていただろう。

ようやくバスが到着すると、ホテルから人が次から次へと飛び出してきて、荷物をバスに残したまま、チェックインもせずに宴会場へ急行する羽目に合った。医療チームのリーダーもこれには驚きを隠せない様子だったが、折角の歓迎にこたえないわけにはいかない。結局、酒が入り、熱烈な歓迎を受けることになった。自己紹介が終わると、地元の人たちが次々と歌や踊りを披露する。

シャン州の伝統楽器や伝統音楽を聴くことができて興味深かった。歌手や演奏者たちは皆上手で私はプロをわざわざ呼んできたのだとばかり思っていた。しかし後で教えてくれたのだが、皆議員や地元の病院の職員だというから驚いた。皆一芸に秀でた人ばかりである。若い外科医や看護士などが伝統の民族音楽をユーモラスな振りをつけて歌い、踊り、場を盛り上げる。私は次第にその舞台に吸い込まれていった。

次の瞬間、私にも努めがあると私の中に何か燃えるものを感じた。このような場は想定してなかったが、リュックの中に木のリコーダーを忍ばせていた。バスに戻り荷物からそれを取り出すと、宴台に上がり、笛を吹かせてもらった。場を盛り上げるような曲を吹きたかったが、咄嗟に出てこなかったので、「コンドルは飛んでいく変奏曲」を演奏した。受けが良かった。アンコールがかかり「荒城の月変奏曲」を続けた。こちらの方は暗い音調なので場が白けた。しかし日本の曲を披露したかったのだ。

私が終わった後も、皆楽しそうに歌、踊りを続け、とうとう私が最も怖れていた場面がきた。皆私たちに踊れというのだ。生まれてからダンスをしたことは皆無といって良い私だったが、とうとう負けてしまった。踊りの輪の中に入った。腕の振りに気をとられていると足が動かず、足のステップに集中すると手がおろそかになる。なんともロボットみたいだとからかわれた。

既にこのブログで紹介したが、今回の地方巡回診療に出る10日ほど前に急性虫垂炎になり、毎日微熱が続いていた私はフラフラの状態であった。果たして地方へ行くために長時間の移動に耐えられるのか自分に自信が無かったし、皆に迷惑だけはかけたくなかった。笛を吹いたり、踊ったりの最中は緊張もあり、疲労は見せなかったと思うが、宴会が終わった0時30分には一気に疲労が襲ってきた。普通であればぐっすり眠れるはずだが、からだじゅうに力が入ったまま眠ることができず、翌朝を迎えた。

午前6時30分ホテル発という過酷なスケジュールが皆を待っていた。
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