喪失

どれだけ待っても奴は帰ってこない。もう手の届かぬ所へ行ってしまったから。春は確かにやってきた。奴が待望していた春がきたというのに、奴は行ってしまった。まだ冷たくこごえる息の只中にかすかな希望を持って生きていたが、この世のものとは思えぬ大波が町をさらっていったのだ。奴が希望を託していた町のそこここが泥水に飲まれ、そのささやかな願い、安らぎを奪ってしまった。奴の友も消えてしまった。

茫然自失の我々は何をしたらよいのかということも考えられずに丘の上に立ちつくしている。ただ奴が立ち去った道を遠くに見て自分たちのぼんやりした影を踏んでいる。間もなく日が暮れる。日が暮れても我々にはやるべきことがない。黙して神に祈るのみ。そして何事も無かったように白々しく瞬く星々を眺めるだけ。我々が行くべき道を教えたまえと。

激しく衝突した時代は過ぎた。激昂と情熱の渦に生きた我々は奴と共に歩んできた。これからどれだけの時間虚無と戦うことになるだろう。誰も分からない。しかし遠くでかすかに声が聞こえる。消え入るな、消え入るな、とその声はか細いがいつまでも続いている。燃え尽きた炭の芯でもわずかばかり赤く燃え残っている部分があるように祈って、消え入るなと言う。

よし、せめて寝息を立てて眠ってやろう。そうすればまだ生きていることが分るだろう。夢の中でもう一度満開の桜の木の下で奴と夢を語り合おう。奴がずっと待っていた春がきたのだから。

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