病気との闘い

私自身と家族の記憶に残すため、今記しておかなければと思う。同じ病気や症状で苦しんでいる人やその家族にとっても参考になれば幸いである。妻が初めてうつ病と診断されたのは2011年のことである。娘が大学を受験する年の前年のことであった。原因ははっきりと分からなかったが、親しい友人の家庭問題だったかと思う。感情移入しやすい性格だった為か、自分の身に起こった出来事のように感じ、全身の倦怠感、動悸、胸のざわざわする感覚が続き、朝起床できずに一日中床に臥すようになった。しかし抗鬱剤で改善したように見えた。この症状は翌年、翌々年も続いた。しかし2014年、長いトンネルに入り今日まで闘いが続いている。この年は私の体調不調が引き金となった。もしかすると私が早死にするのではないかと急に不安になり、その直後から症状が現れた。医師は様々な抗鬱剤を試した。しかしどれも吐気や重い倦怠感、眠気、ふらつき、食欲不振、震戦等々数えきれないほど副作用が目立ち、効果は殆ど無かった。何故抗鬱剤が効かないのか医師、本人、家族も理解できなかった。改善するどころか悪化する症状は長期化し、本人は絶望感、希死念慮に支配された。「治らないのであれば死んだ方がマシ、家族や親、友人に迷惑ばかりかけている。」「何もできない自分は無能。」こうした感情がじっと床に伏した状態ではグルグル頭の中を駆け巡る。家族としてこうした状態の本人といることは辛いことだ。為すすべがない。すべての気力、意欲が消失し、食べることもできない。何かを口に入れても味が全くしない、砂を噛んでいる感じというのだ。顔は無表情で能面のようだ。テレビを観ることもできない。モニターに映る笑顔の人を見ると辛くなり、動悸が止まらなくなるようだ。当然家事はできない。生協の宅配で野菜などを頼んでいるが、気がつくと冷蔵庫の中で腐敗している。食べていないこと、薬の副作用のせいもあってふらふらの状態で立ち上がると転んでしまい、足はうち傷だらけ。家の外には一歩も出られない。近所の人と顔を合わせるのが怖い。友人や親も始めのうちは心配して看病や電話などをしてくれていたが、本人にはそれも重荷に感じると共に、変わり果てた姿を見られたくないという気持ちが強く出て、次第に人々との交流や交信も途絶えた。電話にも出ない。ただ一日中苦痛に顔を歪め、天井を向いて気が遠くなるほど長く感じる一日が過ぎるのを待つ。私と、就職した娘が夜帰宅するまで孤独と苦痛と闘う。世間で何が起きているのか何も関心が無くなっている。時々動悸発作が起こり呼吸が止まりそうになると、てんかんの発作のように怖いものだ。救急車を呼んだこともあったが、どうにもならない。発作が治まるのを待つしかない。2014年が終わる頃、私はこの病気は単なるうつ病ではないのではないか、と医師を信用できなくなり、セカンドオピニオンを求めた。双極性障害の疑いがあるので、抗鬱剤ではなく、気分安定薬に換えることを薦められた。最初のうちはうつ病であっても、様々の抗鬱剤や他の精神病薬を長期間投与されると双極性障害になる可能性があることを知らされた。同時に保険適用外であるが、脳に電磁気を通して刺激を与え治療するTMSも試みたが、これは全く効果が無かった。入院も3回したが一人で生活したことが無い本人にとって入院環境はこれまた苦痛であったようだ。精神科病棟には統合失調症など他の精神病の入院患者もいて、夜中も騒々しいらしく眠れないようだ。病前と比べ10kg以上痩せた本人には入院環境で点滴が有効なのであるが、長続きしなかった。私は通院先の医師と衝突した。長い間通院して副作用による苦痛のみ続き一向に改善しないのに、何故抗鬱剤に拘り続けるのかと怒りに似た気持ちが強かった。セカンドオピニオンで聞いた気分安定薬に切り替えてくれるよう依頼したが、もう少したってからと悠長なことを言う。患者とその家族がどれほど苦しんでいるのかもっと患者の身になって寄り添うべきである。精神科の医師とは言え、自身はうつ病を経験していないだろうから、いくら知識や経験を積んでも真に患者の気持ちは理解していないのだろうと思った。医師を替えた。また1から経緯や経過を説明するのは大変な労力だったが、今度は気分安定薬を処方してくれた。しかしはじめのうちは抗鬱剤との混合治療だったので、いろいろな副作用があった。2015年の11月に急に回復したように見えた。テレビを2年ぶりくらいで見て、食事もした。家事もした。家族の苦労も報われたように思った。ところがその状態はわずか2週間で元の寝たきり状態に戻ってしまった。再びうつ感、動悸、倦怠感に支配され、外の世界から閉ざされた。気分安定薬が功を奏したと喜んだのも束の間、医師も気分安定薬に加えて様々の精神病薬との混合治療を始めた。だがそれ以降、基本的に改善は見られない。いや、症状は複雑化し、一日の中で重いうつ症状が殆どを占めるが、急にうつ感が和らぎ話し始める時間が30分~1時間程度続くことが一日2-3回出現する日が出てきた。これは改善とは言えず、本人は状態の浮き沈みの落差に翻弄され、気持ちは益々焦りと苛立ち、絶望感に苛まれる。そんな日々が何年も続き、家族も忍従の毎日を強いられている。仕方のないことだ。本人は何とか家族の重荷になりたくないという気持ちから、今は無理に家事の一部をやろうとしている。しかし思うようにはいかない。病前の妻は社交的な性格で、友人も多かった。家でじっとしていることはなく、仕事が趣味のようで人一倍真面目、責任感が強かった。また世話好きでもあった。仕切りやで短気、物事をはっきり言う人だった。しかし自分一人でできる趣味が無かった。この病気になって、性格、人格までが変ってしまった。まるで正反対ですべてに自信を失ったので、元気だった頃とのギャップが大きすぎて、苦しむ。朝から晩までじっと家で横になっていることが多いので、何か没頭できる趣味や気をそらせる物事があれば良いのだが、何もない。家族の生活も一変した。海外出張が多かった私の仕事は様変わりし、今は残業も殆どできず、週末はできるだけ家にいて家事をやっている。いつまで続くのか全く見通すことができない。私は今年この病気の患者の家族の会があることを知り入会した。同じ苦労をしている患者とその家族が情報交換し、少しでも何か参考になる事柄や気づきを得ることができればとの思いからだ。娘が就職してからはさらに困難な事態になった。新社会人だから自分のペースで仕事をするわけにはいかない。深夜残業も出張も断ることはできない。慣れない仕事と生活のリズムで疲れ果てて深夜帰宅しても母親は何も反応をしないし、自分も疲れているので何も母親の面倒を見ることはできない。今年になって娘は長年交際している相手からプロポーズされ、結婚したいと言い出した。しかし今の状況では難しいと娘自身は分かっている。当然妻もそれは辛い。最愛の娘に出て行かれる喪失感から来る辛さと、自分のせいで思い通りに娘を幸せにしてあげられないという気持ちが交錯する。昨年の秋には高齢の義父が自宅から高齢者施設に移され要介護となった。義父母の自宅も義父の施設も我が家からはすぐ近くにあるので余計に心理的ストレスになるようだ。病気でさえなければ自分が介護、親孝行できるのに。何と親不孝なのだろう、と自分を責め続けるのだ。どうにも動かしようのない辛い状況に置かれていることもあり、毎日症状に出てしまう。気持ちを紛らわすことができない状況である。時の流れを感じさせるもの、例えば満開の桜、クリスマス、正月、ひな祭り、誕生日などはご法度だ。また一年が過ぎ、自分は治らないという気持ちが強く出るので特に厳しい状態になる。そのため家ではここ数年でこうした行事は全く無縁になり、ゴールデンウィークであろうと正月であろうと何もしない。家族もどこにも行けない。近所の元気な子供の声や隣家の物音も騒音に感じられるので、耳栓やヘッドホンを使っている。はじめのうち、私は妻が訴えるこのような症状が理解できないでいた。しかし何年も苦痛に歪んだ表情を見てきた私は今その辛さがよく分かる。これが私自身であったらやはり生きていたくなくなるだろうと思うのだ。本当にいつまで続くのか、「いつになったら治るんだろうか?」と妻自身は毎日ポツリと訊ねる。私に答えようがない。私も娘も疲れてしまっているが、本人を前に闘いは続くのであろう。2018年4月10日夜、施設で義父は他界した。近くにいながら見舞いに行けないまま義父は帰らぬ人となり、その後の葬儀も妻不在のまま執り行うしかなかった。妻本人も家族も心理的にこの上なく辛かった。

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