晦日の富士

2010年も最後の一日となった。毎年同じことを呟くが、一年が過ぎるのが早すぎる。今年1月4日にミャンマーへ出発したのはつい先日のことのようだ。晦日だから一年の大掃除をするわけでもなく、私はこの時の移ろいの早さを実感し、焦りに似た精神的な圧迫を一瞬感じてしまった。休日には近くの公園へ行き楽器の練習すること以外、あまり外出することが少なくな…
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言葉の壁

「ええおみやげ、ぎょうさんこうてきてくれはったんやねぇ。おおきに。」、訳すと「いいお土産たくさん買ってきてくれたのね。ありがとう。」である。私が生まれたのは大阪である。親や親戚も殆ど皆大阪近郊の人で関西人なのである。関西と言っても場所によって言葉が微妙に異なるが、共通しているのは関西訛りである。狭い日本と言っても、なぜ西と東でこれほど言…
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遠い夏の日の思い出

朝6時30分のラジオ体操を終えると、友達と近くの山の中へ入った。黄色のビニール製のヒモがついた緑色の虫かごを首からぶら下げて。太いクヌギの木の樹液が染み出た箇所に少し赤みがかった光沢を放つ大きな昆虫がいる。ノコギリクワガタだ。見事なまでの大きな角が美しい曲線を描いている。虫に触る手が震える。感動して、感動して友達と視線を合わせる。よし、…
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ニュートラル

仕事の性質上、誰に対しても中立に公平に接することが大切な立場がある。たとえその立場が恒久的なものではなく一時的なものであっても、そうすることが必要な時がある。私は時々自分を振り返り、反省することが多い。日常的にそう心がけている積りでも、どこかでそれができていない場面があることに気がつくことがある。言葉の上で“公平に”と言うと至極簡単に聞…
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冬の晴れた日に

その日は寒い冬の晴れた一日であった。風が冷たく、5分も戸外に立つと忽ち体の芯まで冷えてくる。確かに青空は天高く広がっているのだが、自分の気持ちが乗っていかない何かあまりに寂寥とした青空なのだ。こんな時にはどうすれば良いだろうとあれこれ考えてみるけど、これと言った決め手がない。読みかけの本を手にとってみるが、あまり内容に迫ることができず、…
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通院の日々

一週間に一度は病院に行かなくてはならないので、私はなるべく土曜日を通院デーとしている。手術を終えてから丁度2週間が経過した。右肩のリハビリが今日から本格化した。メニューに従い段階的に高次のレベルへと切り替えていくのであるが、最初はまず仰向けに寝た状態で右腕を自分でできるだけ高く上げ、そこから理学療法士が肩関節を前後左右に少しずつ動かしな…
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既成概念の撤廃

知人が急死し、お別れの会に出席した。亡くなって11日目であったのに、ホテルの宴会室での盛大なパーティーのようなお別れ会であった。生前のその人の性格で常に明るく前向きだったので、ご家族が通常のお葬式のような形式にとらわれず、葬式もない、お香典もお花も受け取らない、極めて明るいお別れ会を準備されたのだった。ご夫婦で遠い異国で生活されていたの…
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年賀状

年賀状とは面白い慣習であると思う。幼い頃から年に一度、新年の挨拶として書いている。今でこそ印刷した文面、デザインと相手先の住所や氏名までパソコンで出力できるので、手間はかからなくかっているが、昔は表面も裏面もすべてが手書きであったので、一枚書くのにエネルギーを使ったものである。送る方も受け取る方も一生懸命さが伝わって、子供の頃の年賀状は…
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水戸黄門

最近、夜8時までに帰宅できる日が月曜日であると嬉しい。「水戸黄門」を観ることができるからだ。少年時代から私は水戸黄門がずっと好きで、東野栄治郎さん(字が合っているかどうか自信がないが)演じる水戸光圀を中心に里見浩太郎さんの助さん、渥美なんとかさんの格さん、それと風車の弥七、うっかり八兵衛、お新、由美かおる演じる何やら姫(名前を忘れた)な…
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葛藤

憤りも不安も焦りも今の私にはない。何もないから怖いものがない。と、自分でそのように思い込もうとする。大切な友人や身近な人のこと、自分の健康や親のこと、心配は山のようにあるのだが、それらを一つずつ解決する根気は持とう。心配の一角だけを心の真ん中に置いて、後は全体を包みながら自分をコントロールして生きていこう。 願わくば、これから先の…
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何かを求めて

何かを求めてオペラシティを訪れた。じっと家の中にいるのが耐えがたく、疼く肩を押さえながら寒空の中を歩いた。ロシアの弦楽四重奏楽団とソプラノのソロのハーモニーを聴いた。日本にいて外国の演奏家のコンサートを生で聴くのは初めてだ。チケットが高いので、いつもはCD鑑賞なのだが、今日は割安チケットを入手したためだ。 ソプラノ歌手が歌ったのは…
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氷解

私の中で凍っていたものが溶け出した。あとは止まることなく涙が溢れ出す。若き音楽家の偉大な挑戦の舞台であり、音楽に人生をかけた者たちの音に胸を打たれたのである。NHK教育放送で日本音楽コンクルールを見た。昭和7年から毎年開催されている日本の若手音楽家のプロへの登竜門として格式高いコンクールである。バイオリン、オーボエ、フルート、声楽、作曲…
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手術の所見

手術後一週間が経過し、抜糸と手術中の所見、今後のリハビリ計画について聞くために、再び板橋区内の病院を訪れた。右肩に開けられた穴は全部で3箇所であった。抜糸は簡単であった。特に痛みも感じない。しかし手術後も右肩の痛みがとれず、動きは手術前よりも悪くなったこと、夜間痛はなくなったことを医師に説明した。医師によるとまだしばらくは痛みが続くこと…
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退院して

今回の入院、手術は、今後を考える上で良い機会となった。無理せずに一層健康に留意してやっていかなくてはならないと強く認識させられた。退院といっても手術後わずか2日目のことであり、まだ右肩から腕が激しく痛い。その状態で早朝5時に採血(化膿などの炎症の有無の検査)、6時に傷口の消毒、6時30分に半身浴(その病院では毎週月曜日と金曜日だけ入院患…
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手術

入院翌日に右肩の手術を受けた。鏡視下手術といって内視鏡を中に入れて行う手術である。直径1.5cmほどの穴を3カ所開けられた。手術は1時間で終わったが、麻酔から醒めた途端、恐ろしいほどの激痛が術部を中心に右腕全体にきている。右腕が自分のからだの一部ではなく、大きな異物のように肩に突き刺さっている感覚だ。一夜明けた今も、右手は激痛のため、全…
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田園の中の病院

都心からどんどん離れていく。刈り取った田んぼが広がるのどかな景色が車窓に広がる。途中、我孫子駅で乗り換えたが、駅のプラットホームの立ち食いそば屋がものすごく美味しそうな匂いを立てて、私を誘った。電車の接続の時間さえあれば是非食べてみたかったのだが、願いは叶わなかった。学生の頃、おやつ代わりによく品川駅の立ち食いソバへ行ったことを思い出す…
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ピアノ協奏曲第2番

静かにピアノの音がすべり出してきた。私の心の内奥からラフマニノフのピアノ協奏曲第2番が静かに流れ、ゆっくり溢れてくる。まだ仕事中であるのに、頭の中ではすでに麻酔にかかったように痺れている。響きの良い旋律だ。電話が鳴る音も、デスクの近くで聞こえる雑音もついさっきまで耳障りであったのに、今はピアノの音で満たされている。 しばらくはこの…
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ロジのまずい病院

手術前検査ということで再び板橋区内の病院を訪れた。この日担当医は不在の日であったが、検査のみを受ける指示が出ていた。前回担当医を受診した際、手術前検査として心電図と血液検査の予約を入れておくから、と言われていたので、その積りで訪れたのだった。 検査室に到着し、診察券を機械に通すと自動的に予約済検査のメニューが印刷されて出てくる。血…
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ワクチン後進国

日本はワクチン後進国だそうである。世界の先進各国では子供に接種するワクチンは行政の責任とされ、無料であるという。日本ではかつて「麻疹」、「水疱瘡」、「おたふくかぜ」の予防接種を受けることは義務であり、私が小学生のときは学校で接種を受けた記憶があるが、稀に出る副作用による事故などのため、現在では接種は任意で親の管理責任にゆだねられている。…
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精神世界

トルストイは50歳の頃からそれまでの恵まれた生活に嫌気が差し、宗教と神を心の支えとする精神世界に生きることを求めるようになったそうだ。物質的財産は罪であるとして、あり余る財産を売って貧しい農民に分け与えたいと願ったらしい。しかし妻の同意を得られず、彼の精神は追い詰められていった。激しい自己嫌悪に陥っていったと言われている。思想的にも「国…
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