20年ぶりの再会 2001年にルーマニアを訪れた時出会った友人が初めて来日しました。当時はドナウデルタ地帯のチョウザメの保護、繁殖に力を注いでいた大学教員であった彼は、2003年に家族と共にカナダに移住し、紆余曲折がありましたが2005年からカナダの在来種であるチョウザメ養殖事業を家族経営で立ち上げたのです。2013年にはキャビアを生産することに成功、そ… トラックバック:0 コメント:0 2020年03月15日 続きを読むread more
ツイカ ルーマニアの伝統酒、ツイカ。プラムでできた蒸留酒である。そのままいただいても美味しいが、燗にして砂糖を少量混ぜるとなお一層美味しい。私が初めてツイカを味わったのは2005年に同国のウルラツィ村にある修道院に宿泊した折、自家製のものをいただいた。ほんのり甘味があり優しい味だった。写真にあるのは友人のルーマニア人が日本人の嗜好に合うようにと… トラックバック:0 コメント:0 2016年04月23日 続きを読むread more
旅日記(その7) 3月6日午前9時に滞在しているホテルの向かい側にあるHotel Nord内で2日分のホテル代を支払い、そこでペトリーナ氏に電話をかけてもらったが、来週月曜日にならない限りどうなるか分からないと言う。仕方なくヘラストラウ公園へ行ったが、寒くてとても散策どころではなかった。しかし公園敷地にある農村博物館はルーマニア各地の古民家を集めた場所と… トラックバック:0 コメント:0 2011年05月03日 続きを読むread more
旅日記(その6) ブカレストの夜は暗い。カービン銃を持った兵士がそこら中を歩き回っており不気味である。意を決してタクシーを拾い、ブカレスト北駅まで戻った。22Leiであった。空腹を感じ夕食をとろうと思ったが、レストランは数が少ないためかどこも非常に混み合っており、入りにくかったが、エイとばかりに我慢して飛び込んだ。ところがこのレストランでとても愉快なおじ… トラックバック:0 コメント:0 2011年04月26日 続きを読むread more
旅日記(その5) 3月5日午前1時30分、ルーマニアの国境駅クルティチに着く。ここで荷物検査と強制両替(1日につきUS$10、私は21日分US$210)を受ける。物々しい雰囲気。西欧諸国とは明らかに空気が異なる。ルーマニア人が車内に増え、あちこちで話し声や笑い声が聞こえてくる。夜が明けて車窓を見るとそこはまだ真冬の世界。濃霧が立ち込め、辺りは一面氷が張っ… トラックバック:0 コメント:0 2011年04月24日 続きを読むread more
記念品 家の物置を整理していたら、貝殻に混じって写真の記念品が出てきた。1981年3月8日ルーマニアの首都ブカレストにあるルーマニア体操協会にコマネチを訪ねた時、その場で本人がサインしてくれた彼女の写真である。よく見ると1982年と書かれているのだが、私の記憶の中では20歳になる前の19歳の春だった。だから年を間違えるはずはないのだが、彼女が1… トラックバック:0 コメント:0 2010年10月21日 続きを読むread more
街角にコマネチが セミパラチンスクの街の中を歩いていたら、何故かコマネチの写真が出ていた。スポーツ用品店の外の壁だった。写真は20歳を過ぎた頃のものか。こんなところで出会うとは思ってもいなかったが、昔を思い出した。 彼女は激動のルーマニアを生きた人である。1976年のモントリオール五輪で「白い妖精」と呼ばれ、一躍スターになった。母国ルーマニアでは国… トラックバック:0 コメント:0 2009年05月27日 続きを読むread more
馬車が行く(ドブルージャ地方) ポカポカポカポカ・・・・・のどかな乾いた音が古びたアスファルトの道に響いてくる。黒海に近いドブルージャ地方の街中を馬車が行く。ルーマニアでは田舎を訪れると今でも馬車が活躍している。馬車が行く横を羊の群れを従えて、羊飼いがブラブラ歩いている。馬車を操る人も羊飼いも生まれついての仕事であるかのよう。彼らを取り巻く時間はゆっくり過ぎていく… トラックバック:0 コメント:0 2008年09月14日 続きを読むread more
ウルラツィ村の修道院 1989年に社会主義政権が崩壊したルーマニア。私が最初に同国を訪れたのは社会主義体制下にあった1981年3月のことでした。首都ブカレストの夜は暗く、牛乳などの基本的な食料も配給のため市民が列を作って並んで買っていた光景を思い出します。一般のルーマニア国民は当時自由に国外を旅行することはできなかったですし、外国人がルーマニア人の家に民… トラックバック:0 コメント:0 2008年05月23日 続きを読むread more